top of page

2025年2月19日 コリント人への手紙第一16章

  • hccnichigo
  • 2月19日
  • 読了時間: 2分

 16章は、この手紙の終わりのことばです。パウロは、大勢の名前を挙げています。テモテやアポロ、アキラとプリスカのように他の箇所にも名前が挙げる人もいれば、「ステファナの一家」「ポルトナトとアカイコ」のように、この箇所だけの人もいます。

 この人たちが、どのような人たちなのか、その素性は分かりません。しかしパウロは、実に多くの人々と関わりを持ち支えられていたのだという事が分かります。

 パウロのように歴史に名前が残るような人もいれば、そうではない人も大勢います。それぞれの神さまの用い方が違うのでしょう。


 無名の神さまの働き人たち。キリスト教会の歴史は、このような無名な人々によって造られ、守られてきたのです。100年後、私の名前は、ほぼ残っていないでしょう。しかし、一人ひとりの存在の確かさは、神の歴史の中に刻まれています。そして何よりも神ご自身が私たちの名前を覚えていてくださいます。


 21節には「私パウロが、自分の手であいさつを記します。」(21)と記されています。実際の手紙は、パウロの弟子が口述筆記したのだと思われます。しかし最後の挨拶だけ自分の手がで書いたというのです。なんだかの事情(眼が悪かったという説もあり)、筆記することが困難だったのでしょう。

 だからこそ、この最後の3節、主の再臨を待ち望むこと、主イエスの恵みと愛の挨拶は、彼の特別な思いが込められた言葉です。実際の文字は、震えるような文字だったのかもしれません。パウロの魂のことば、絶筆です。


 天の父なる神さま、、

 有名、無名に関わらず、それぞれが神から与えられた働きを全うすることができますように。福音宣教の働きの一端に参加できますように。

 また、パウロの魂のことば、しっかりと受け止めます。なお主を待ち望み、主の恵みと愛に生きていきます。

  主イエス・キリストの御名によって祈ります。 アーメン                                         文:関真士


最新記事

すべて表示
2025年4月18日 ガラテヤ人への手紙3章

この章は、パウロが「ああ、愚かなガラテヤ人。」と言って、彼の落胆あるいは失望で始まります。「私のためにイエスが十字架につけられ、私の罪が赦された」というイエスと自分の関係がはっきり分かっていたはずです。それが分かったのは律法を守ったからではなく、十字架による救いを信じたから...

 
 
 
2025年4月17日 ガラテヤ人への手紙2章

「しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うこ...

 
 
 
2025年4月16日 ガラテヤ人への手紙1章

ガラテヤ書の背景には、ユダヤ人クリスチャンの中から、偽りの福音を教会に持ち込む者たちがいたという状況がありました。この偽りの福音に対してパウロは、とても激しく非難し反論します。 「私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくだっさった方から、この...

 
 
 

Comments


bottom of page