2025年2月7日 コリント人への手紙第一4章
- hccnichigo
- 2月7日
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教会の指導的な立場に立った時、どんなことを心掛けるのかを3章に続いてパウロは語ります。 第一にキリスのしもべであると心得、また「神の奥義の管理者」として自覚を持とう、と言います。管理者にとって、キリスト教会の上に立つ者にとって重要なのは、主人である神に忠実であること、忠実さだということを心得ておくことでしょうか。上に立つ立場になったからといって、神の上に立つような勘違いはもってのほかです。
結局、コリントの教会の人たちに争いがあったのは、彼らの真ん中に「神」が正しく位置付けられていなかったためでしょうか。彼らは、この世の人々と同じで、神不在の人間的な上下の世界で物事を考えていました。神との決定的な関係に、もう一度立ち戻らなくてはならないということです。全ては神に備えていただき、神の恵みにあって生きている、そう思わされた出発点に立たなくてはなりません。 信仰を持ったら、人は自分を神の下にはっきり位置付け、その下にも上にも誰も置きません。
14節で、パウロは、コリントの教会を生み出した父として、自分に倣うように勧めます。これから先、コリント人はたくさんの養育係、つまり教師の指導を受けるかもしれませんが、パウロは、自分は養育係に指示を与えている父である、と言います。だから自分の方針に従って欲しいと言います。では、それはどんな方針なのかというと、自分をこの世の屑、かすと思い、誰も自分の下に置かないこと、ただ神の僕として生きることです(13節)。そして、テモテを遣わすので、彼にその模範を見て欲しいと言います。実際テモテは、実に、主に忠実な者でした。大切なことは、神に忠実な者として生き、自分の下に誰も置かないことです。そして霊的な実質を持つことです。口先ではなく、神を知っている者として、神の力に生きる実質を持つことです。神の国は、ことばではなく力にあるのです(20節)。
主の祈り:自分の下には誰も置かず、ただ神の僕として、上を見上げる信仰生活を続けたいと願います。今日の御言葉を感謝して祈ります。アーメン
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