『構わないではいられない神』
次の章で「神の奥義」が語られるが、この章でヨブは「自分はなぜ苦しい目に遭うのだ?私は生まれてこなければ良かったのに」と嘆きと悲しみを神様にぶちまけている。
私はホスピス患者さん達をケアしたことがある。20節と似たようなことを口にする人が多い。
20節 私の生きる日はわずかなのですか。
それならやめてください。
私にかまわないでください。
私はわずかでも明るくふるまいたいのです。
または「早く死にたい」。クリスチャンのホスピス患者さんでも「早くイエス様が天に呼んでくれないかな」と言われた。
それほど、この世で生きていくのは患難が沢山ある、昔も今も。
先週の江崎先生のメッセージにもあったが、父である神は私たちを愛してやまない。苦難は神の道への鍛錬、教育として証して下さった。「バカな子ほどかわいい」と私は信じている。
詩篇 139:8
たとえ 私が天に上っても
そこにあなたはおられ
私がよみに床を設けても
そこにあなたはおられます。
父なる神様はかわいい子供達(私たち)を放っておけないようだ。
ヨブのように自暴自棄になって、神に文句をガンガンぶつけようとも、神様はそばにいて聞いてくれて、「勝手にしろ」とか言って離れたりしない。だから私は心配しないことにした。私が「放っておいて!」と言っても放っておけない神様だから。構わずにはいられないのだから。
天の父なる神様、
十字架で死なれたキリストは墓に葬られ3日後に復活されるまで「陰府」まで降りて行かれた(使徒信条)。そうまでして、私たちを救って下さった。感謝します。より多くの人が救われますように。イエスキリストの御名により祈ります。アーメン
文: マッカーター政子
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