2025年3月24日 ヨブ記20章
- hccnichigo
- 3月24日
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『悪しき人間が神から受ける分』
ツァファルの2回目の論争です。どうしても話を続けてゆくと、相手が納得してくれれば良いのですが、意見が衝突してしまうと論争にも、もっと感情が入り混じって、怒りが表れてくるのではないでしょうか。口調も強くなって、自分の意見を述べてくる、そのような思いが、この2回目の論争には見えるのです。そうして、さらに、これから先に3回目の論争と発展してゆくのがヨブ記ですが、終わりのない終わりといっても良いかもしれません。 最後まで、ヨブの悲劇は、天上でのサタンの挑戦が原因であったとは、一言も説明されていないのです。舞台裏を知るのは、読者である私たちだけで、ヨブも彼の友人も、患難の原因を理解することはないのです。解決のない解決とも言われています。しかし、その論争の過程に私たちが共感することが、多く含まれていると思いませんか。
ツァフォルはヨブに反論します。自分に侮辱となる訓戒を聞いて、悟りを与える霊が私に答えを促すのだ。とですから、これから彼の語ることは悟りの霊のことばなのだと言っているのです。そしてきつい言葉つきになってます。12節&14節「たとえ悪が口に甘く、彼がそれを下の裏に隠しても、」「彼の食べた者は腹の中で変わり、彼の内側でコブラの毒となる。」これはヨブに対して、かなり腹を立てた言い方ではないでしょうか。 お前がいくら隠しても、悪が腹のなかで毒となったのだぞ!と怒りに燃えた言い方で、決して悟りの霊のことばとは思えません。私たちも、お見舞えに行ったのに、さんざん悪態をたれる方にへきへきして、心の中では、自動自得などと思ったりしていないでしょうか。ヨブの場合には、もっと深刻な出来事で、なぜ誠実で真っ直ぐな心の者、神を恐れて悪から遠かっている者が、患難の中を通されるのかという、人生の大問題を投げかけられています。
やがて、この長い長い論争の後に、主の諭しが30章から出てくるのですが、その前に、ヨブと友人たちの論争を読み取りながら、自分だったらどうするだろう、そしてどのように主が導いてくださり、本物の悟りの霊である、聖霊のことばが心の中に響くのを待つのです。
ツァフォルは、かなりきつい一打をヨブに加えています27節から29節「天は彼の咎をあらわにし、地は彼に逆らって立つ。彼の家の作物はさらわれ、御怒りの日に消え失せる。(これはまさにヨブの身に起こったことではありませんか)そして、決定打は29節「これが悪しき人間が神から受ける分、神によって定められた、彼の受け継ぐものである。」と決めかかって、ヨブの災難を彼の持つ咎のせいだと決めつけているのです。しかし、もう一方で、これらのことばは、もしかしたらヨブの悔い改めを促す、厳しいことばだったのだろうかとも考えられますね。
祈り
ヨブよりも、全く咎を持つことのない主イエスが、私たちの罪のために十字架にまでかかって下さいました。ヨブはなぜ自分がとなげきますが、主イエスは嘆くこともなさらずに、父なる神に最後まで従順に従われましたことに感謝致します。アーメン
文:森 宗孝
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