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2025年3月31日 ヨブ記27章

  • hccnichigo
  • 3月31日
  • 読了時間: 3分

『義を堅く守る』


 サタンは、ヨブの骨と肉を打ってみれば、ヨブはきっと、面とむかってあなた(神)を呪うに違いありません。とヨブ記の始まりにあるわけですが、ヨブは主を呪うようなことはせず、6節「私は自分の義を堅く保って手放さない。私の良心は生涯私を責めはしない。」とここで断言しています。主に対して、なぜこのような災難が自分の身に起こるのか、教えて欲しい、自分はもう生まれてこなかった方が良かったとは言っていますが、サタンの目指していた、神を呪う言葉はヨブの口から出ていないのです。ヨブは骨の髄まで、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていたからです。


 そうして、ヨブは苦しみの絶頂で主に近づき、死者の上に立つ復活の主の姿を垣間見て、神を救い主として仰ぐという確信に達してゆきました。信仰の進歩は、大変な価値がありますが、それに到達するには、尊い代価を払わなければなりませんでした。主なる神は、サタンの挑戦すら、信仰の発展に結びつく道をヨブにお示しになったのではないでしょうか。


 Iコリント10章13節「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」とあります。ヨブにとって脱出の道とは何だったのか。友人たちの論争の中で、怒りが込み上げてきたものの、それは自分の心の確信となって働いていたのではないでしょうか。私は義を堅く守るという確信は、ヨブの患難を経験したことによって、さらに硬い信仰と育って行ったのではないかと思います。


 それでは、ヨブは完全な義の人であったかと言うと、そうではありません。ヨブの問題点は、神の義よりも、自分の義、自分の言い分を主に訴えたいのです。それはヨブの義が、主の義より優っていることになってしまう、これは私たちすべての者が陥る自己中心の罪であって、ヨブもそういう意味では、罪の人であったわけです。しかし、同時に神をいつまでも、求める信仰の人でもあったのです。


3〜4節「私の息が私のうちにあり 神の霊が私の鼻にあるかぎり 私の唇は決して不正を言わず、私の舌は決して欺くことを語らない」ヨブは自分に聖霊の助けが働いていることを認識したのでしょうか。主イエスによって、聖霊を私たちが頂いていることを知っている自分達も、彼と同様な決断、不正を言わず、欺くことを語らないと言い切ることができれば幸いです。


祈り

ヨブの苦しみを、読みながら共感し、また彼の信仰を増すのを読むにあたり、どうか自分には、このような苦しみを与えないでくださいと勝手な祈りをしながらも、同時に、深い信仰を持ちたいと願う、自分勝手な者がおりますことをお赦しください。アーメン 

文: 森 宗孝


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