2025年4月7日 ヨブ記34章
- hccnichigo
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『私の正義』
この34章は32章から37章まで続く、年少者エリフの言葉です。そして今までの三人の年長の友人たちとは異なった視点でエリフは、ヨブに語りかけています。いままでの三人は因果応報という考え方でした、それに対してヨブが反論し、その中でヨブが神よりも自分を義とした、自分の正義を訴えたので、エリフが登場したのですが、彼は、神は色々な方法で人を導かれる、時にはそれが懲らしめを伴っていることを、理解して、ヨブに反論しているのです。
そして反論しているだけでなく、きわどいヨブ批判ともなっています。5節「ヨブはこう言っているからだ。「私は正しい。神が私の正義を取り去ったのだ。」ここにあなたの非があるのだと、そして神が悪を行うなど、不正をするなど、絶対にあり得ない。と手厳しくヨブを批判して、36節「どうか、ヨブが最後まで試されるように。彼は不法者のように、ことばを返すからだ。」とまでヨブのこれまでの反論に対して、もう黙っておれないという雰囲気で、切り返しの論法をしますが、その中には確かに、正論 神は、時には懲らしめを伴って、人を導かれるという、理解を示しているのです。エリフは、神の尊厳を理解している者だと思います。そうして苦しむ者の叫びを聞き入れられている神が黙っておられるなら、御顔を隠しておられることを、何らかの理由でされておられるなら、だれがとがめることができるだろうか。あなたヨブがそれをとがめるとはもってのほかだ。とかなり本質に迫った論争をされているのです。
しかしながら、エリフの唯一の間違いは、ヨブを不法を行う、悪人と一緒くたにしてしまって、神の沈黙は、ヨブのたかぶりによるためだと断定してしまっていることにも、ヨブに同情の声をかけなかったことにも、彼の判断の甘さがあることも事実です。神は慈悲の神であり、愛なる神であることを理解することができるのは、主イエスが、地上に来られることで、はっきりと私たちが知ることができますが、まだ主イエスを見ていない、エリフですから、私たちが彼の判断を批判することはできませんね。 こうして三人の友人達の意見、最後にエリフの意見が出揃いました。もうじき
ヨブだけでなく、友人たちを含めた皆に対して、神の諭しが登場してくるのです。
祈り
いままでの友人たちとは角度の異なった、エリフの見方に感謝いたします。まさに主なる神は、子供である私たちを、懲らしめながらも愛を持って、導き続けてくださることを、私たちは主イエスによって知りました。感謝いたします。アーメン
文:森 宗孝
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